分校か、分教場か
ちょっと近代日本教育史の話題を。
福島県内の、複数の学校沿革をたどってみると、学校によって分校・分教場・分教室の書き方がまちまちであった。明治期の開校当初から○○分校と称したり、□□分教場と称したり、△△分教室としたり。なかには、規模拡大に伴い分教室から分教場へと改称している例もあるから、分教室は小規模なものに使われている点はわかった。
しかし、分校と分教場の区別はあいまい。たとえば、映画「二十四の瞳」で「岬の分教場」として使用された建物は「香川県小豆郡小豆島町苗羽小学校田浦分校」であった。このように、分校と分教場の使用は混在しており、どうにも分からない。
ただ、戦後に分教場から分校に改称している例が多い。ここから、法令が関係しているのでは?と調べてみると、以下のことが分かった。
○「小学校令施行規則」 明治33年(1900年)
第二十九条 小学校の学級数は十二学級以下とす 特別の事情に依り小学校に於て分教場を設くるときは一分教場の学級数は二学級以下とし前項の制限外となすこと得
○「国民学校令施行規則」 昭和16年(1941年)
第四十九条 特別の事情に依り国民学校に分教場を設けんとするときは市町村、市町村学校組合又は町村学校組合に於て地方長官の認可を受くべし之を止めんとするとき亦同じ
分教場の学級数は六学級以下とし~後略~
○「学校教育法施行規則」 昭和22年(1947年)
第一章第一節第六条 分校(私立学校の分校を含む。第七条の七において同じ)の設置についての認可の申請又は届出は、それぞれ認可申請書又は届出書に、次の事項(市町村立の小学校及び中学校については、第四号及び第五号の事項を除く。)を記載した書類及び校地校舎等の図面を添えてしなければならない。
同第十八条(分校の学級数)
小学校の分校の学級数は、特別の事情のある場合を除き、五学級以下とし、前条の学級数に参入しないものとする。
つまり、明治33年~昭和22年までは法令上は「分教場」が用いられ、それ以降の学校教育法下では「分校」が用いられている。そういえば、現在「分教場」と名乗る学校は知る限り存在しない。
それにしても、戦前に分教場と分校が両方とも存在したあたりは、まだ謎だ。単に人々が使い慣れていたから通用したのか、何か違いがあったのか。詳しい方、ご教示いただければ幸いです。
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